2017年12月31日日曜日

今年あったこと。

 ほとんど忘れてしまった。
 文学フリマがあった。
 確か、本を作った、らしい。
 それで、配布した、らしい。
 自分でやったのかどうか、覚えていない。
 写真を撮った。
 写真の画質が、年々悪くなってきている。
 というのは、比較しての話だ。
 去年の今頃は、面白い作文作りに没頭していた。
 初の、三十代の年だった。

 鎌倉に、旅行に行った。
 海の家は片づいていた。
 鎌倉の家は、みんな海の家みたいに簡単に作られていた。
 ペンキか、漆喰でカラフルに塗られていて、曲がりくねった道が多かった。

 今年、役職がついた。
 また一からのやり直しという感じになった。
 私的な時間が、より削られるようになった。

 秩父にも行った。
 洞窟の中で死にそうになっていた。
 洞窟は、いくら外が暑くても寒い。
 水は新鮮でどこからでも湧いていた。
 五連休を取り、秩父と白川郷に行った。
 白川郷でも、冗談みたいにどこからでも水が湧いた。そのどれもが、水道水より飲用向きであった。
 もちろん、ドブみたいに流れている水は飲まない。そこを、鮎が泳いでいた。

 読書会が行われた。
 定期的に、少なくとも一編は、小説を読んでいる計算になる。
 いろんなものを読みかけて、ほんのわずか読み終わる、というのは、一生変わらない。おそらく。

 この一年で、200時間くらいはラジオを聞いていた。
 毎週二時間のラジオを、100本は聞いて、それ以上に聞いていた。
 その上、何周か聞き直した。
 何一つ覚えていない。

 ジャンベを買った。
 あんまり使っていない。

 結婚した。

2017年12月30日土曜日

日が暮れる

 ドストエフスキーと、チェルヌイシェフスキーを読んでいる。
 腹を壊した。
 ワイファイの為の座席がある。
 日はとうに暮れた。
 中華を食べた。

 とにかく自分に向けて何らかの情報が入ってくる。無視できない。忘れると、忘れないとに関わらず、選択できない。見たものを軽率に放り投げることはできない。

 年末年始、「壁の中」に振り回されている。

2017年12月27日水曜日

読書会の反省

 ヴァージニア・ウルフの思考の波に乗るには、何回も読まなければならないし、時間がかかる。
 ヴァージニア・ウルフは怖くないが、時間が掛かる。従って、ヴァージニア・ウルフが怖い人間は、時間を掛けるのが怖い人間である。
 先日、25日、ヴァージニア・ウルフの「書かれなかった長篇小説」という短篇小説の読書会を行った。
 当初と違い、二名で読むことになった。
 大きな読み違いをした。
 リズムを静かに分解することは必要だが、その上でインテンポで流すことがより重要である。
 だから、分析をして終わりなのではない。
 あるいは、関連性を見つけて指摘するのは分析以外の行為だ。
 単語で分解してもいいし、どんな弄り方をしてもいいし、むしろ徹底するべきだろうが、それが流れるのは別の時間においてである。
 いかにしてそれを峻別するのか。そんな手があるのか。どうやったら、小説で基礎練みたいなことが出来るのか。
 この一年、いやそれ以上、この問題の周りをグルグル回っている。
 昨年、手にしたのはギリシャの歴史と、哲学だった。
 あの点をしっかりと踏まえれば、何かが変わっただろうか。わからない。

2017年12月26日火曜日

2017/12/26

 今日あったこと。
 話し掛けられた。
 時計がズレていた。
 マンガは読まなかった。
 途中で体調を崩した。
 今年もあと4日ですな!
 チーズを食べた。
 高橋己詩が小説を書いた。
 テレビなんか見る暇がなかった。
 かなり怒られた。
 日暮かと思ったら朝焼けだった。
 もうすぐ閉店になる。
 後ろから社員が来ることは稀だった。
 つくねを食べた。
 つくねを食べたのは、昨日だった……。

2017年12月25日月曜日

念仏

 頭の中は割と念仏みたいなもので埋まっている。
 今日は非常に光のあるいい日だ。
 フロントガラスも曇る。
 昨日は祝った。
 今日はコーヒーをたらふく飲んだ。
 地方自治に対する遣る方のない不満。
 新聞から得た感情。
 トリュフ塩のポテトチップス。

2017年12月21日木曜日

2017/12/21

 今日あったこと。

 職場で役職のある人々と酒を飲んだ。
 口々に祝われた。

2017年12月19日火曜日

整数論と将棋

 先日、ABC予想という、整数論の未解決問題(リーマン予想のようなもの)の証明が行われたというのが話題になった。
 場合によっては何年もかけて、その証明が正当であるのかの証明、妥当性? のチェックを行うのだそうだ。
 一方で、羽生善治が永世七冠を得た(になった?)というニュースもあった。
 整数論と将棋は似ている。
 流動的なものを許さない癖に、突き詰めると(リーマン予想からリーマン曲面に変化したように)思考の中身が流体のように連続的になってくるのである。
 対象が連続的・非連続的とに拘わらず、人間の思考も、どこか連続的なところがあるのかもしれない。
 ロジカルなものの限界への指摘が、ベルクソンやプルースト、プルーストを引き合いに出す吉田健一などにはあるのだが、吉田健一の文体にもどこか流動的なもの、自我とその外との曖昧な混ざり合いを拒否するようなところが見られる。
 羽生善治は、吉増剛増を読んでいた。

たそがれに還るからベスター

 一昨日あたりに光瀬龍の『たそがれに還る』を読み終えた。
 壮大で(『ディアスポラ』には劣る)、太陽系内に広がる人類とその希薄化みたいな話だったが、異星文化が姿を現すことがなく、味気なかった。
 百億の昼と千億の夜のワイドバロック感とインチキ感溢れる感じは良かったのだが。
 いずれにしろ小松左京の嫡子、いろんな意味で。物語の構造、複雑化、広汎化の志向による山田正紀みたいな限界は訪れるのだと思う。
 語り得ぬものに対して沈黙するしかないをスタイルにした形の異星文化の描き方もまた、そっから派生するものなのではないか。
 帰結感に欠ける。常に演繹し、先へ進んで、何らかのメチャクチャな構造に至らなければならない。
 光瀬龍は、たしか死んでたと思うが、節々にカッコつけたフレーズを使わなければ気が済まず、特に宇宙の荒涼感、銀河英雄伝説とか銀河鉄道スリーナインとかのロマンとかが染み着いたような孤独への畏怖と憧憬みたいなことばっかり言っているので退屈だ。
 その辺も小松左京から継いでいる。
 それからベスターの『虎よ、虎よ!』を読み始めた。

2017年12月18日月曜日

自転車で池袋まで行った日の話

 たまには運動しようと思って、家から真っ直ぐに池袋近辺まで延びている道があるのを知って、片道三十分くらいかけて自転車に乗った。
 途中までは、近隣の駅があるので道でも行き慣れているが、その先は未知だった。
 S区は自転車専用道路が充実している。
 どこまで行っても自転車専用道路がある。
 車道の幅をそれだけ取れているってことだ。
 覚醒感が必要なので、途中で缶コーヒーを飲んだ。
 東長崎駅か、南池袋の辺りで、首都高速か、バイパスか、とにかく高架と互い違いに入れ替わっている幹線道路があって、そこを左に回る。
 行きは高架の上の道を通った。ツチノコの形みたいに、上がって、下がるだけの道だったので、自転車ではソンをするばかりだった。
 その高架の下の道の、端っこの方に、自動販売機に関連のあるおじさんが、立っていた。
 鳥居とネコの話をしていた。
 そのとき、というか自転車に乗ってからずっと、耳元でラジオを聞いていた。
 耳の側にスピーカーがある。
 それには変わりはない。
 イヤホンを差しながら自転車を公道で走らせたら、これは立派な犯罪である。
 特徴のない「○○丁目交叉点」の信号を、右に曲がる。
 左手には、式場だか、大学だかの敷地が延々と続いていた。
 ここは、今度は歩道が車二台通れるほど広くて、歩道の中に自転車レーンが設置されていた。
 このあたりで、コーヒーの効き目が現れてきた感じだ。
 突き当たりに有名な消防署がある。
 あとは、目隠ししてもジュンク堂へ辿り着ける。
 ジュンク堂の地下には、めったに使用しないが、駐輪場のスペースがある。
 それでも、フロア半分くらい、自転車で埋まっていた。
 池袋のジュンク堂まで、自転車で来る物好きがいる。
 ミシェル・レリスの「軍装/FOURBIS」だけ買って、帰った。
 帰りは、下の道を使った。下を、都電荒川線が通っていた。
 思いのほか、線路待ちが長かった。
 もう日が暮れている。

片岡鶴太郎

 片岡鶴太郎の行方が気になっている。
 ラジオでネタになるなど、間接的な情報しか入ってきていないのである。
 彼はインド政府公認のヨギーになった。
 検索した動画欄には、逆立ちし首の力だけで体重を支える苦行を行っていた。
 メインの苦行は、やはり、断食であるらしい。
 このまま、神になったり柱になったりするのか?
 それとも、芸能人、芸術家に足を踏み留めるのか?
 旺盛な生命の力が保てない。
 生存できない。

2017/12/18

 ツイッターで、今年における今日の割合を、古いパソコンのシークバーの表示で表すアカウントをフォローしている。
 今年も残るところあと4%、といったところだ。
 三十代の始めの年は、疾く過ぎ去った。
 何かが残った、という感じがしない。
 とはいえ、自分の人生の中で、何かを残した、といえる年があったのかどうか、疑わしい。
 今まで一度もやったことがないといえる。

 日記を書き始めたのは高校を卒業する頃だった。
 それは、小説を書こうと志した日を境に、量を増した。
 仕事を始めてから、量が減った。
 何を書くのか、に関して、質の変化は当然あるが、ないも同然といえばそれまでだ。
 書かれたものがどういう振る舞いをするのか知ってからは、当然変わらざるをえない。
 ポストモダン的な書き方を知ってからは、自分の書き方もポストモダン的にならざるを得なかった。
 それはポストモダンがわかっているとか、体現しているとかいったことではなく、単に影響されやすかったり、知ったことを実践するという単純なことで、ワザと言えるものであるのかといえば、疑問に思わざるを得ない。
 それがポストモダンと言えるものなのかどうかもわからないが、その周辺にある何物かであることは疑いない。
 だから何だというわけでも、だから何が出来るというわけでもない。

 今日は親子丼を食ってから夜勤に出掛けた。
 テレビは見なかった。
 本も読まなかった。
 ラジオを聞いた。
 ラジオを熱心に聞いたのは日記を書き始めた頃より古い。

2017年12月17日日曜日

2017/12/17

 今日あったこと。

 仕事で上司がいなかったのでフラフラしていた。
 客への連絡をたくさん入れた。
 現場へぜんぜん入らなかった。
 なので、楽だった。
 拘束時間は2時間増えた。
 昨日の飲み会で、ザーサイの話になった。
 スピッツトリビュートで、ロボットアニメの主題歌を歌った人のモデルの人だ。
 ザーサイは、中華屋で、もはやメインを張るレベルの料理だ。
 僕はそうは思わない。

2017年12月16日土曜日

音楽もまた

 昨年か今年に起きたエイフェックス・ツインの未公開音源の大量放流という事件があった。
 三百曲くらい、サウンドクラウドにアップロードされていたのだ。
 それは、彼の古い曲風のもあり、最近の作風もあり、今まで書き溜めていたものを無作為に取り出して流した、といった風に見えた。
 てっきり、古く聞こえる曲はその当時作られたものと信じて疑っていなかった。ところが、信頼のおける友人が、
「あれはモジュラーの音がする」
 と言っていたのだ。
 昔の環境を模してさも昔作ったように見せかけた曲を、半ば自動的に? 大量に、最近全て作り出したものだというのだ。
 なんでそんなことをするのか?
「昔の」「○○年代の彼の音は」「ここで転換期が訪れる」などといった、歴史家風の非連続的な時間の経過の捉え方をされるのが、退屈で仕方なかったのかもしれない。
 音楽の時間は、その音の流れの中にしかない。それ以外は全て都合のいい想像であり仮構でしかない。

SFについて

 これももう十年近い前の話だけどSF小説を山ほど読んでいた。
 その時は量をこなそうという考えだった。
 今考えればそれは間違っているとも言えなかった、それで正解というわけでもないが。
 名作と言われている小説を、古いのも新しいのも構わずに、名作と言われている順番に読んでいった。
 その中で、どうしても受け入れられない作家も現れた。山本弘や、小林泰三がそうだ、夢枕獏は嫌いではなかったがなんで気に入られるのかがわからなかった。
 何といっても気に入ったのはグレッグ・イーガンと野尻抱介。
 堀晃も、噂に違わずよろしかった。
 プログラミングとは、無時間的に行われる営みである。なぜなら、時間と関わりのないアーキテクチャの変化と戦うからである。
 あなたは、「GOTO」ラベルの濫用の禁止の声を聞いたことがあるか。
 人は、完全に「失敗」するグチャグチャの何の為に動いてんのかわからないプログラムを組むことが出来る。それは、人類の可能性だといっていい。
 強い指向性(それは経たないはずの時間を仮構すること、ないはずの物の質量、移動に必要な力を仮構することから始まる、そこから「目的」が発生すると言ってもいい)を持たない、何かを「させる」つもりで書かれたプログラムが、新しい人類の可能性を生む。
 野尻抱介の「太陽の簒奪者」には、そういうエピソードが含まれている。

2017年12月15日金曜日

2017/12/15

今日あったこと

マーボー豆腐を作った。
IHヒーターを初めて使った。コードが伸びなかった。
引っ越しの荷物から少し本を出した。図書館で借りた小島信夫批評集成、自分の本、崩れるの本、その他。
秋葉原のイヤホン専門店に行って、イヤホンを買った。
秋葉原に行くのは、久しぶりだった。街を通っても、もう興味を惹くものはなかった。
フクロウを外に連れ回して、フクロウカフェの宣伝をしている人がいた。外はだいぶ寒かった。
山手線が人身で運転見合わせをしていた。
地下鉄で、迂回をせざるをえなかった。
駅で、イソジンのうがいをするカバと豊島園か西武園の宣伝のコラボをしている広告を見ていたら、何を勘違いされたのか、エスカレーターを降る男から怒鳴られた。
顔を上げると、こっちを見ていた。そのまま下に見切れていった。
別の、階段しかない方の通路を通ってホームに潜った。