2018年8月7日火曜日

蜘蛛

 仕事の合間に、今日見たことを思い出す。自分の住んでいるアパートの階段の上がり端に大きめの蜘蛛が蜘蛛の巣を張っている。数センチくらいのよく家の中でも見掛けるようなケチな蜘蛛ではなく巣も本人も相当の大きさで、巣は三十センチくらいで偶然かもしれないが蝉を捉えた。夜中かけて一匹の蝉を食い、そして床に捨てた。それも意図的に捨てたのか自然に落ちたのかわからない。蜘蛛のはっきりとした習性を私は全く知らない。しかし蜘蛛は意図的に巣を畳んでは張り、またなくなってはすぐに組み立てていた。日中にはどこを見てもいないのに、晩になると決まりきったように巣の多角形の相似形のちょうど中心に、脚を畳んで縮こまったような姿勢で構えている。朝方、巣は残っているときもあるし完全になくなっている時もある。こちらとしては何の恨みもないが管理人は一定の責任を以てそこらに転がってくる蝉も蜘蛛に食われた蝉も片付けるが、蜘蛛の巣も払いのけているのかもしれない。積極的関与をすぺくもない事柄なので、むしろ純粋に観察している楽しみみたいなものがあるが、一つの夏の出来事、それこそカーテンをようやく買ったとか近所の空き地が建造物になったとかそういう類のささやかなものではあるが、何週間かに渡って日々の変化を見せてくれる貴重な出来事の一つに、自分の中ではなりつつある。

2018年5月25日金曜日

漢字が書けなくなった

 ブログなんか書いてるからだ。何を言いたいわけでもなく……
 近所の消防署がもうすぐ完成する。建物の名前だけが光っている。植木の上にシャワーヘッドを置いている。銀色の文字でマンション名が書いてあるから、読みづらかった。四十五度くらいの傾斜でコンクリートの細かい段々が下って、地下の駐車場に繋がっている。日差しがあるところでは汗ばむくらいだった。学校で全学年の生徒が校庭に出て運動会か何かの練習をしていた。男女とも同じ体育着だった。楽しそうに大縄跳びをクラス全員でやっている。誰かが引っかかると静かにそちらの方を見る。校庭から校舎に向かって下っていて、さらにその先の住宅街はずっと下りで斜めの土地の上に家が建っていた。誰が建てたのか。ボンネットの中にペンキと竹箒が置いてあった。マンホールかと思ったら「三級基準点」と書いてあった。ソバを食べたい、と猛烈に思ったため、富士そばに行ってとろろそばを食べた。オクラトロロそばには卵が乗っていない為、ただのとろろそばを頼んだわけだが、トッピングなどをすることも、今から考えると、あった。とんでもない汗のかきかたをした老夫婦とすれ違った。皮膚病にでもかかったように、顔が赤かった。パチンコ屋の裏に駐輪場があった。駅の正面から見えない位置にある為、見逃しやすい。駅前で三味線を弾いている男がいた。もう八時からずっと弾いているということだった。聞いている人が三人いた。一人のサラリーマンが金を入れた。それが目的で、三味線を弾いていたのだろうか。少なくとも、金を入れる為の容れ物は置いてあった。

2018年5月18日金曜日

西城秀樹が死んだ

 西城秀樹に殊更思い入れがあるわけでもないが、強いて気に入った芸能人、歌手を挙げるとしたら西城秀樹だった。動画配信のアイコンに使っていた。私は西城秀樹だとよく言っていた。それは他に依拠するものがなかったから言っていたという感じだった。歌など特にヒットを飛ばしたもの以外は知らなかった。あの堂々とした感じ、西城秀樹を指して西城秀樹以外のものを一切意味しないという意味で唯一の存在であるあの感じが気に入っていた。ナイツや鉄拳などにはない存在感がある、もちろんタワムレに言っているんだけれどもタワムレにでもいの一番に話題にする対象が無くなったという意味においては空が消えたのと意味としては変わらないかもしれない。但し西城秀樹という記号自体が消えたのでもないし、西城秀樹と発音する際には現在の西城秀樹というよりはローラの、あるいはターンエーを歌った西城秀樹を指すのであったけれども意味を変えた、大幅に西城秀樹という言葉の意味が変わった。森繁久彌は生きているという都市伝説を主張する人も(ポールマッカートニー生存説、志村けん生存説など)いるにはいるが、森繁久彌には既に死んだようなものなのに不思議なくらい生きている宙づりの期間があったからこそ、現在その存在をぼやかすことに成功しているのだが、西城秀樹は確実に死んだ。しかも急性心不全という、打撃のような形で。俺のビートルズと言うのが可能ならば西城秀樹の死亡は稲妻みたいにドラマチックに訪れた、実に西城秀樹らしい、年老いた後ろ姿まで見せなかったじゃないか、西城秀樹らしい。弔辞でも書いているんだろうか、内面的にすらそんな近しさを覚えた積もりはないが、私とは西城秀樹だった。

2018年4月14日土曜日

2018/04/14

 我々はなにを為そうとしているのか。考えなければならない。誰にとってか、どの集団にとってか。誰でもないものへ雲散し尽くすにはどうしたらよいのか。誰しもが自らの所有に苦しめられ、少なくとも持て余している。相当の幻想ならある。しかし……
 ベンツのマークを利用した火鍋みたいな弁当の仕切り。大工同士の会話。猫が散らされる轟音。箸置き。飛び交う言葉の渦。一言だって渦を呼ぶ。雨を降らせる人間の皮膚の蒸散(まさか、それが……)テレビガイド、テレビブロス、ザ・テレビジョン……出前とビール。中華屋の赤い看板。子育て中の中年。
 切りがない。私ではないものがこの世に充満している。その気配がある。
 明日。

2018年4月11日水曜日

2018/04/11

 玉川上水駅で降りた。玉川上水が駅の南側を流れていて遊歩道が半ば放置された土手という感じで川の両側にあった、左側を常に覆うガラス張りのマンションがあった。ベランダの桟が全部ガラスだった。駅に近づくと変電所と高校の裏手があった。すべて広い。独立して建っているプレハブの事務所の中に男がいた。何をするでもなく電話と各種書類と壁に地図が貼ってあったような気がした地図を見るでもなく見ていたような感じがしたけれども何も見ていなかったのかもしれない。棒アイスの棒、鉄のフェンスの芯、枯れ葉で埋め尽くされていた、ドングリが散在していた。川の反対側は住宅地だった。全部住宅地だった。この街は住宅地と変電所しかない。モノレールが通っている。多摩市と立川市の境だった。駅前と変電所と住宅地しかない、あとは墓地がある。墓地もとてつもなく広かった。住宅地の分だけ墓地があるのかもしれない。丸く刈り取られた植木、お供え物のbossレインボーマウンテン、玉砂利の上を蟻が歩いていたような気がする、そんなによく見たわけではない。学生がたくさんいた。学生が住宅地に移り、それから墓地に移る。すべて巨大だった。なんと合理的な街なんだろう。

2018年4月9日月曜日

2018/04/09

 ホームドアに安心したと思ったら今度は電車とホームの間のスペースが少し広めだったら心の中で文句を言っているのだから人間の要求はとどまることを知らない。緑色の時計を飽くことなく眺めている。雨はようやく止んだ。運転している時間帯はホーム内にものを落としても拾うことが出来ないため、どれだけ自分の中で緊急性があろうとすべての電車が通り過ぎた後でしか、あのカニの手みたいなマジックハンドで(イラストの中ではシルエットになった少女が帽子かなんかを落としてそれを拾ってもらっている場面が浮かぶだろう)落下物を拾うことが出来ない、紙切れを拾うには熟達した腕前が必要なのだがそもそも何かを落とす人自体が少ないため、特に入りたての駅員なんかは全然慣れていないことが考えられる。万が一のことを考えて、紙切れであろうと首からストラップを掛けてぶら下げるか。向かいの左前の席に座っている人が、ヤマハ音楽教室で習いたてといった感じの楽譜を広げて頭の中で練習しているんだか読んでいるんだかしていた。焼き肉のことを考えていたのかもしれない。楽譜のある音楽というのが不思議と新鮮というか逆に物珍しく、回帰してきたような感じを覚えた。カニ道楽で、専用のハサミを使って身をほじくり出しているときの惨めさと陰気な喜びが、会場内にいるすべての人に水が染み込むように次第に浸透していった。ある意味で熱狂といってもいい。陰気な熱狂とでもいうものがあってもいいじゃないか。駅員が発車音を鳴らした。音楽ではなくブザーだった。

2018年4月8日日曜日

2018/04/08

 夢は自分にとってかつて求心力があったが今はない。夢の印象が薄いのもあるが、何かが気になるように引っ張られることが昔ほどはないのは加齢のせいにするのは乱暴すぎるか、十や二十ではきかない年上のいる職場でもう年だからというような話をしたら全員顔が引き攣っていた串カツ田中での話だ。滑りの悪いサッシの引き戸が団体客によって開けられる度に一月前ほどのことだから冷気の風が入ってきて不愉快だった窓際の席で、同じく庄屋の話をするならガスファンヒーターがこちらに向けて温風を吹いているといったような気の効き方をしていたわけではなかった、行田の何もない延々と道路と畑だけが続く道のど真ん中にあった蕎麦屋では石油ヒーターだったが同じくこちらを向いていた、本格的に味わわなければわからない味の違いがあったので居住まいを正した、具体的には無いネクタイを結び直すようなものだろうか、ポテトサラダをジャガイモとベーコンの切れ端とレタスの入った擂り鉢が出てきて自分ですり潰さなければならなかったのを初めは訝しそうに他のメンバーは見ていた、道路の外の景色を休日の昼間に見ているだけの状態は天国のようだった、半分寝ていた。全寝していたらすぐにゼリーフライを売る駅前に着いた、一つの市か区ぐらいの広がりがあるように感じた、行田は。団体で来るのだから意識的ではない場合に、自分が最後に通るという自覚がないらしい、あるいは意図的に、さも自動ドアではない店側がおかしいだの、店員が閉める筈だのと考えているような顔が通り抜けた。勘違いでなければ、上下ジャージを着ていた、勘違いでも一向に構わない、最後にはやはりデザートで締めようという話になった、それほどはっきりと話したわけではなく誰となくメニューの該当個所を差し出したような空気だったし、そういう行為の具体的ではない一つの行為とも呼べない断片が、空気と映るのだろうか。

2018年4月7日土曜日

2018/04/7

 アラーキーの写真のモデルの人が、無理やり撮られたとか、勝手に公開され続けているとか、周囲から嫌がらせを受けている、といった内容のnoteを公開していた。
 それから、あやまんJapanの「ポイポイポイポポイポイポピー」の歌詞を読んだ。
 電池がなくなった。
 引き戸の音を減らす為のスポンジのセロテープが剥がれていた。
 手品をして、何度も遅刻する夢を見た。
 ごはんを食べたかどうかすら覚えていない。
 本当は、覚えている。
 トラックが三台の簡易トイレを運んでいた。
 窪地を下っていた。
 おそらく、次には昇るのだろう。
 錠が歪んで鍵が引き抜きにくくなっている。
 嵐のような前夜だった。
 おにぎりを選ぶ時、鮭の押し寿司のようなものと、変わり種の納豆巻きと、チャーハンを選んだ。
 十分前に家を出た。
 昨日の嵐でいろんなものが転がっていた。
 消防署の分館が建ちつつある。
 分館というのかどうかは、わからない。
(続く)

2018年3月25日日曜日

2018/3/24

 小説を書き終わり、フォーマットにおさめた。
 あとはウサギさんに任せ、印刷会社に送るなり、入金するなり、搬入するなり、待っているだけとなる。
 少なくとも、そんな気分でいたい。
 今回ほど、前に進んだ感じのしない小説ははじめてだ。

2018年3月15日木曜日

2018/3/15

 エネルギーを徐々に上げていかなければならない。
 常に供給されるのではなく、それは揺らいでいる。
 風が強い。夜は寒い。
 知り合いは見掛けなかった。
 万年筆のインクの入れ替えをした。
 前のやつの方が出が良かった。
 サウナにテレビを置いてほしい。
 サウナにテレビくらい置けるはずだ。

2018年3月14日水曜日

小説

 小説を書いていると、すこぶる快調である。
 今まで、腰が重く、この一年は本の抜き書きと日記以外に何にも書いていなかった。
 いや、カクヨムや、なろうに何がしか書いていた。
 極めて断続的であり、書いているといううちにはいらなかった。いずれにしろ、書き始めるのも続けるのもなぜか腰が重かった。
 腰が軽くなった。
 物理的にだろうか。サウナやスポーツジムで風呂に入るようになって、脳の血液循環が良くなったのかもしれない。
 しこたま走ったあとは、冗談みたいに目が霞む。
「こんなことを書いていていいのか?」「これからどうすればいいのか?」「ここからどうすれば、より良く書けるのか?」一旦そういうタガを完全に外すことによって、質はともかくとして、延々と物を書くことができる。
 とりあえずは、身体や腕や脚を動かし続けることが重要だ。
 修正は、動きながらでしか出来ない。
 夢でも見ているようなものだが、あるいは不遜ながら楽器でたとえれば、とりあえず打ち鳴らし続けて、手が慣れてきた所でメトロノームを意識しても遅くはあるまい。

 日中は光と温気に溢れ、日が沈むにつれて冷え込んだ1日だった。
 雪を一週間被っていた下の階のアロエは、予想通り枯れたような色をしていた。
 本当に枯れたのかどうかは分からない。アロエの本によれば、アロエの生命力はかなり高い。水なんか無くてもかなり長い間生きている。一見枯れたように見えても、あきらめないで。
 ただ、寒さにだけは弱い。だからこの雪を被ったアロエはやはりすでに枯れているのかもしれない。
 コンビニが近い。

崩れる本棚

 崩れる本棚に次の5月に出す小説を目下書いているけれども題名が決まっていなかったけれども今決めました。
 5月に出す小説の題名は、「小説」です。
 よろしくお願いします。

2018年3月11日日曜日

自己紹介

 私は、高校を卒業してから小説を書こうと思った。
 高校に在学してた頃から習作みたいなものを書いていた。
 エヴァンゲリオンのあらすじのようなものと、星新一のショートショートのあらすじのようなものを書いた。
 高校を卒業して、しばらくは独学でプログラミングをやりながらバイトをして、寝て屁をこいていた。
 暇な時期にSF小説を読み、小説を読み、フロイトとラカンを読み、思想のマネみたいな文章を、ノートに書いていた。
 たまに、寝ながら屁をこいていた。
 ノートは20冊と、ルーズリーフが一束ある。
 1日何枚と決めてた時もあったが、そのうちやめた。
 バイトはほぼ個人経営みたいな古本屋で、ブックオフみたいな大型のものでもなければ神保町に居並ぶようなものでもなく、言わばDORAMAのようなものだった。古いマンガの小口の日焼けを延々ヤスリで削らされながらレジ打ちをしていた。
 ブックオフで、専用の機械を見たときには、愕然とした。
 経営難に伴う規模縮小により、クビになった。
 暇になってからも、小説は書かなかったが、小説を書くための勉強をしているつもりだった。
 辞めて一年で介護の資格を取り、二年後に就職した。
 とはいえ、必ず、屁はこいていた。
 寝ながら屁をこく日々もあった。
 要するに、通底するものなんか何もない。三年か四年前に『崩れる本棚』という文芸サークルに入って、初めて小説を書いた。
 以後、年に一、二個は、小説らしいものを書いた。
 それを平和島の文学フリマでばらまいた。
 2ヶ月後に、また東京の文学フリマがあり、小説を配る予定だが、難渋している。
 去年昇進した。去年結婚した。
 今、「道徳の系譜」を読んでいる。

2018年2月14日水曜日

夕映え

 夕映えの最後の色だけ見て階段を下った。雪を被っていたアロエが凍結して枯れた。どこかで火事が起きた。近所の消防署の出張所がサイレンを鳴らした。カーブから曲がった道を左に逸れたところに家がある。交差点の真ん中に街頭が吊されている。家の電灯みたいにど真ん中に吊されて明るい。交差点に信号機はないが人々は渡る。警告の為に道路が赤く塗られている。雪も溶け残っているのは僅かだった。観念から抜け出すには。「バカ安市」が八百屋で開催されていた。二階が濁った白い照明で照らされていた。人通りが多かった。警官が見張っていた。伐採された後の植木みたいな桜が駅前のバス停の広場にあった。ここまで歩いてくる間に日が暮れた。完全に暮れた。今思い出している。雪に埋まっていた自転車も今は剥き出しで放置されている。撤去されない。八千円で返還される。コーヒーを買って帰った。
 それから仕事に行った。

2018年1月31日水曜日

レコード

 奥さんにレコードプレーヤーを買ってもらったので吉祥寺のディスクユニオンとかでひたすらレコードを買って聞いていた。
 マイルス・デイヴィスは外れだった。
 フォーレの録音が悪かった。
 squarepusherは回転数が早かった。
 ダフニスとクロエは合唱が判で押したようで単にクレッシェンド、デクレッシェンドを聞いているようだった。
 サザンは初期が良い。
 デレク・ベイリーはジョン・ケージのようだった。
 デレク・ベイリーの伝記を買ってまだ読んでいなかった。

2018年1月23日火曜日

2018/1/23

 明日は本社へ行く。
 今日は、上司がいなくて、散々な一日だった。
 雪がまだ解け残っていた。
 昨日とはぜんぜん違う。
 雪が降っている最中と、解け残って徐々に解けていく雪とは、空間の質がぜんぜん違う。
  色々な人と喋った。
 机があって、生活が変わったのかどうか。
 わからない。
 本も読めなくて字も書けない一日なら終わりだ。
 私は多忙の為読み書きの出来ない人間だ!

2018年1月22日月曜日

2017/1/22

 東京では雪が降った。東京だけでなく全国的に雪が降っていた。雪が降ると空間が変わる。バスの中にかなり太い男が何人も入ってきて圧した。体型がかなり似ていた。三人から四人いたがバラバラだったので何らかのつながりがあったのかどうかはわからない。バスの熱で窓の外にこびりついた雪が半分溶けていた。バスのアナウンスは通常よりマメに話していた。似た場所を通るのに普段とはぜんぜん違う。格子はツララみたいに垂れ下がって枯れそうな植物は完全に枯れたように見えた。割とすぐに太った客は降りた。最初に前の乗車する扉から下車しようとした人が「前から降りてもいいですか!?」と聞いた後は、誰も前の扉から降りていいのかどうか聞かずに降りていった。三、四人の太った客がまとめて降りたのかどうかまでは見なかった。首を回す余裕もなかった。駅に着くまでに半分以上が降りて座席に座れるほどの余裕が出来た。そんな短い距離、バスを使うのはもったいないと思えるほど直ぐ降りる客は多かった。家が近くにあるのならしょうがない。家の前にバス停がある人もいるくらいだ。バス停を一日一センチ動かすことによって自分の家の前にバス停を引き入れようとする人もいる。ドラえもんは通勤を楽にする道具を使って最終的にはマンホールの穴から出てきてパパを会社に送った。三人とも顔中が泥だらけだった。地下鉄の線路を引ける電車がその道具だった。電車の前に橇のように反り返った柔らかそうな線路がついている。走った後が線路になる。ダリのように柔らかい戦車を描くことによって戦争は防げるのだろうか。そんなことは知らない。知ったことではない。

PCから 2018年1月21日

 パソコンから入力できると、色々と効率が変わる。
 それはとんでもない違いだ。
 今まで、机に就いて何かを入力できる環境ではなかった。
 机でキーボードを打てるというのは、ぜんぜん違う。
 このキーボードは、二万五千円したのだった。

 今日は、職場の飲み会だった。
 政治みたいなものが強力に働いているのが目に見えてわかった。
 そういうものを、上の兄みたいに「くだらない」とか「つまらない」とか言うのもいいけれども、それを期待しなければ、別の形態を創出しなければならない。
 例えば、民衆全草の上理論。
 あるいは、全員自然に還る。
 自然に還るとは、死ぬことだ。

  

2018年1月15日月曜日

兄弟会

 上の兄と真ん中の兄と自分とで集まって話した。
 それぞれ、とんでもない曲者である。
 真ん中の兄は、現在、巨大な都市計画に一枚噛んでいる。
 上の兄は、冗談みたいに美味いコーヒーを出してきた。
 子供部屋があった。
 知育でもしているのだろうか。
 寿司が捨てられた。
 どんどんワインが明けられていった。
 スピーカーからビートルズ、宇野常寛から3.11、北朝鮮工作員からフランス人、フィリピン、ザハ、モンティ・パイソン、ねこぢる、東浩紀から中島敦、國分功一郎、DATテープ、ボナンザ、クリエイティビティ、進化論、さらに話は続いた。
 あの日のことは、作品にしなければ収まりがつくまい。

2018年1月11日木曜日

野生の思考

 クロード・レヴィ=ストロースの、『野生の思考』を読んでいる。
 時代の空気を、色々な角度から感じる。

2018年1月9日火曜日

2018/1/9

 身体的に限界である。
 腰を叩いていたら肩が疲労して痛い。
 本格的に、科学的に身体のケアをしなければならない。

 今日の雲はとても良い塊をしていた。
 ラジオの内容とピッタリだった。
 フランスでは移民が何百万人も押し掛けていた。
 machinedrumの曲をSpotifyで聞いた。
 Spotifyは、仕組みは知らないが、ダウンロード販売しているような曲をランダムで流す。
 無料だった。
 そういう仕組みがあるのかもしれない。
 レコードプレーヤーが欲しい。
 レコードとCDとレーザーディスクとiPodがあれば、この世に存在する全ての曲が聞けるのだろうか。
 それは音楽ではない、と、ハイレゾの人は言うだろう。
 それは思想ではない。それは小説ではない。それは絵画ではない。それは詩ではない。それは彫刻ではない。それはライブではない。それは歌ではない。それは動画ではない。それは本ではない。それはラジオではない。何も流れていない。
 確かに、何も流れていないのだろう。そこには何も流れていない。なぜなら、生きていないからだ。
 生きていないからだ!

2018年1月5日金曜日

十六茶

 十六茶信仰をあえて持つことで、人生のどこかに芯を作る心持ちだ。
 十六茶の自然の成分(ハトムギ、玄米、大麦、桑の葉等々……)が体内を風のように吹き抜け、余計な成分(ラーメンや、ハイボール、その他)が、どんどん析出されるような心地になる……。
 世界はまた、澄明さを取り戻す。
 フランス語の単語を一時期覚えようとしていたが、また忘れかけている。
 今まで、年齢のせいにして、勉強に勝手に限界をつけていた。
 何日間かバカみたいに天気が良かったのに、だんだん崩れてきた。
 具体的には、大晦日に東京の一部では雪がちらつき、その後は今朝まで、バカみたいに晴れていた。
 ミスチルの「優しい歌」が流れる。
 夜は2日、3日と月が影を作るくらい光っていて、「今日は月がすごくよく見えるわよ」と、年寄りが言う姿があった。

2018年1月3日水曜日

2018/1/3

 三が日が過ぎた。
 昨日、真ん中の兄と会った。
 結婚祝いに、うちらの地元まで来てくれた。
 安藤忠雄や、宇野常寛、ジャコメッティ、ミスチル、フィリピン、フランス語の話などした。
 フランス人が母親の家にホームステイしているから、その人からフランス語を習えという話になった。
 いろんなものを食べながら。

 今日は、手応えない仕事だった。
 早めに帰ってきたが、何の勉強もしてない。

2018年1月1日月曜日

2018/1/1

 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

 去年はほとんど本を読めなかった。
 15冊は読みたい。
 したら、その15冊は、一体どのように選べばよいだろう。
 賭けのようなものだ。

 月の光で影が出来るほどだった。
 年越しの瞬間は地方局のオーケストラを掛けていた。
 本棚を作った。本を作者できちんと集めるということは、したことがなかった。
 被った本がいくつか見つかった。

 古井由吉について。
 いまだに定見がない。すごいのかすごくないのか。すごいとして、何がすごいのか。言語なのか内容なのか。新しさなのか。あれは、新しいのか。
 お前は何を分かっているというんだ。

 何か具体的なことを言うのが憚られる。
 誰がどうした。
 誰がどうしてどうなった?
 宮川賢のセリフである。
 タオル掛けと歯ブラシが、どの家庭にもある。
 個人がいるところ、独房でも、家庭である。
 私は独房に住む。私は家庭を持っている。
 基礎だけの家もある。迷路のようになっている。
 あれは、あるいは迷路の基礎だったのかもしれない。
 政財界チャリティー歌謡祭という番組を見た。おめでたい、正月に丁度良い番組だった。
 荻窪で、動物の死骸を見た。
 意味はわからなかった。
 伊福部という苗字は、伊福部昭‐伊福部崇以外には親族以外でその苗字を見たことがなかった。
 仕事を笑顔でする。