2018年4月14日土曜日

2018/04/14

 我々はなにを為そうとしているのか。考えなければならない。誰にとってか、どの集団にとってか。誰でもないものへ雲散し尽くすにはどうしたらよいのか。誰しもが自らの所有に苦しめられ、少なくとも持て余している。相当の幻想ならある。しかし……
 ベンツのマークを利用した火鍋みたいな弁当の仕切り。大工同士の会話。猫が散らされる轟音。箸置き。飛び交う言葉の渦。一言だって渦を呼ぶ。雨を降らせる人間の皮膚の蒸散(まさか、それが……)テレビガイド、テレビブロス、ザ・テレビジョン……出前とビール。中華屋の赤い看板。子育て中の中年。
 切りがない。私ではないものがこの世に充満している。その気配がある。
 明日。

2018年4月11日水曜日

2018/04/11

 玉川上水駅で降りた。玉川上水が駅の南側を流れていて遊歩道が半ば放置された土手という感じで川の両側にあった、左側を常に覆うガラス張りのマンションがあった。ベランダの桟が全部ガラスだった。駅に近づくと変電所と高校の裏手があった。すべて広い。独立して建っているプレハブの事務所の中に男がいた。何をするでもなく電話と各種書類と壁に地図が貼ってあったような気がした地図を見るでもなく見ていたような感じがしたけれども何も見ていなかったのかもしれない。棒アイスの棒、鉄のフェンスの芯、枯れ葉で埋め尽くされていた、ドングリが散在していた。川の反対側は住宅地だった。全部住宅地だった。この街は住宅地と変電所しかない。モノレールが通っている。多摩市と立川市の境だった。駅前と変電所と住宅地しかない、あとは墓地がある。墓地もとてつもなく広かった。住宅地の分だけ墓地があるのかもしれない。丸く刈り取られた植木、お供え物のbossレインボーマウンテン、玉砂利の上を蟻が歩いていたような気がする、そんなによく見たわけではない。学生がたくさんいた。学生が住宅地に移り、それから墓地に移る。すべて巨大だった。なんと合理的な街なんだろう。

2018年4月9日月曜日

2018/04/09

 ホームドアに安心したと思ったら今度は電車とホームの間のスペースが少し広めだったら心の中で文句を言っているのだから人間の要求はとどまることを知らない。緑色の時計を飽くことなく眺めている。雨はようやく止んだ。運転している時間帯はホーム内にものを落としても拾うことが出来ないため、どれだけ自分の中で緊急性があろうとすべての電車が通り過ぎた後でしか、あのカニの手みたいなマジックハンドで(イラストの中ではシルエットになった少女が帽子かなんかを落としてそれを拾ってもらっている場面が浮かぶだろう)落下物を拾うことが出来ない、紙切れを拾うには熟達した腕前が必要なのだがそもそも何かを落とす人自体が少ないため、特に入りたての駅員なんかは全然慣れていないことが考えられる。万が一のことを考えて、紙切れであろうと首からストラップを掛けてぶら下げるか。向かいの左前の席に座っている人が、ヤマハ音楽教室で習いたてといった感じの楽譜を広げて頭の中で練習しているんだか読んでいるんだかしていた。焼き肉のことを考えていたのかもしれない。楽譜のある音楽というのが不思議と新鮮というか逆に物珍しく、回帰してきたような感じを覚えた。カニ道楽で、専用のハサミを使って身をほじくり出しているときの惨めさと陰気な喜びが、会場内にいるすべての人に水が染み込むように次第に浸透していった。ある意味で熱狂といってもいい。陰気な熱狂とでもいうものがあってもいいじゃないか。駅員が発車音を鳴らした。音楽ではなくブザーだった。

2018年4月8日日曜日

2018/04/08

 夢は自分にとってかつて求心力があったが今はない。夢の印象が薄いのもあるが、何かが気になるように引っ張られることが昔ほどはないのは加齢のせいにするのは乱暴すぎるか、十や二十ではきかない年上のいる職場でもう年だからというような話をしたら全員顔が引き攣っていた串カツ田中での話だ。滑りの悪いサッシの引き戸が団体客によって開けられる度に一月前ほどのことだから冷気の風が入ってきて不愉快だった窓際の席で、同じく庄屋の話をするならガスファンヒーターがこちらに向けて温風を吹いているといったような気の効き方をしていたわけではなかった、行田の何もない延々と道路と畑だけが続く道のど真ん中にあった蕎麦屋では石油ヒーターだったが同じくこちらを向いていた、本格的に味わわなければわからない味の違いがあったので居住まいを正した、具体的には無いネクタイを結び直すようなものだろうか、ポテトサラダをジャガイモとベーコンの切れ端とレタスの入った擂り鉢が出てきて自分ですり潰さなければならなかったのを初めは訝しそうに他のメンバーは見ていた、道路の外の景色を休日の昼間に見ているだけの状態は天国のようだった、半分寝ていた。全寝していたらすぐにゼリーフライを売る駅前に着いた、一つの市か区ぐらいの広がりがあるように感じた、行田は。団体で来るのだから意識的ではない場合に、自分が最後に通るという自覚がないらしい、あるいは意図的に、さも自動ドアではない店側がおかしいだの、店員が閉める筈だのと考えているような顔が通り抜けた。勘違いでなければ、上下ジャージを着ていた、勘違いでも一向に構わない、最後にはやはりデザートで締めようという話になった、それほどはっきりと話したわけではなく誰となくメニューの該当個所を差し出したような空気だったし、そういう行為の具体的ではない一つの行為とも呼べない断片が、空気と映るのだろうか。

2018年4月7日土曜日

2018/04/7

 アラーキーの写真のモデルの人が、無理やり撮られたとか、勝手に公開され続けているとか、周囲から嫌がらせを受けている、といった内容のnoteを公開していた。
 それから、あやまんJapanの「ポイポイポイポポイポイポピー」の歌詞を読んだ。
 電池がなくなった。
 引き戸の音を減らす為のスポンジのセロテープが剥がれていた。
 手品をして、何度も遅刻する夢を見た。
 ごはんを食べたかどうかすら覚えていない。
 本当は、覚えている。
 トラックが三台の簡易トイレを運んでいた。
 窪地を下っていた。
 おそらく、次には昇るのだろう。
 錠が歪んで鍵が引き抜きにくくなっている。
 嵐のような前夜だった。
 おにぎりを選ぶ時、鮭の押し寿司のようなものと、変わり種の納豆巻きと、チャーハンを選んだ。
 十分前に家を出た。
 昨日の嵐でいろんなものが転がっていた。
 消防署の分館が建ちつつある。
 分館というのかどうかは、わからない。
(続く)