2018年5月25日金曜日

漢字が書けなくなった

 ブログなんか書いてるからだ。何を言いたいわけでもなく……
 近所の消防署がもうすぐ完成する。建物の名前だけが光っている。植木の上にシャワーヘッドを置いている。銀色の文字でマンション名が書いてあるから、読みづらかった。四十五度くらいの傾斜でコンクリートの細かい段々が下って、地下の駐車場に繋がっている。日差しがあるところでは汗ばむくらいだった。学校で全学年の生徒が校庭に出て運動会か何かの練習をしていた。男女とも同じ体育着だった。楽しそうに大縄跳びをクラス全員でやっている。誰かが引っかかると静かにそちらの方を見る。校庭から校舎に向かって下っていて、さらにその先の住宅街はずっと下りで斜めの土地の上に家が建っていた。誰が建てたのか。ボンネットの中にペンキと竹箒が置いてあった。マンホールかと思ったら「三級基準点」と書いてあった。ソバを食べたい、と猛烈に思ったため、富士そばに行ってとろろそばを食べた。オクラトロロそばには卵が乗っていない為、ただのとろろそばを頼んだわけだが、トッピングなどをすることも、今から考えると、あった。とんでもない汗のかきかたをした老夫婦とすれ違った。皮膚病にでもかかったように、顔が赤かった。パチンコ屋の裏に駐輪場があった。駅の正面から見えない位置にある為、見逃しやすい。駅前で三味線を弾いている男がいた。もう八時からずっと弾いているということだった。聞いている人が三人いた。一人のサラリーマンが金を入れた。それが目的で、三味線を弾いていたのだろうか。少なくとも、金を入れる為の容れ物は置いてあった。

2018年5月18日金曜日

西城秀樹が死んだ

 西城秀樹に殊更思い入れがあるわけでもないが、強いて気に入った芸能人、歌手を挙げるとしたら西城秀樹だった。動画配信のアイコンに使っていた。私は西城秀樹だとよく言っていた。それは他に依拠するものがなかったから言っていたという感じだった。歌など特にヒットを飛ばしたもの以外は知らなかった。あの堂々とした感じ、西城秀樹を指して西城秀樹以外のものを一切意味しないという意味で唯一の存在であるあの感じが気に入っていた。ナイツや鉄拳などにはない存在感がある、もちろんタワムレに言っているんだけれどもタワムレにでもいの一番に話題にする対象が無くなったという意味においては空が消えたのと意味としては変わらないかもしれない。但し西城秀樹という記号自体が消えたのでもないし、西城秀樹と発音する際には現在の西城秀樹というよりはローラの、あるいはターンエーを歌った西城秀樹を指すのであったけれども意味を変えた、大幅に西城秀樹という言葉の意味が変わった。森繁久彌は生きているという都市伝説を主張する人も(ポールマッカートニー生存説、志村けん生存説など)いるにはいるが、森繁久彌には既に死んだようなものなのに不思議なくらい生きている宙づりの期間があったからこそ、現在その存在をぼやかすことに成功しているのだが、西城秀樹は確実に死んだ。しかも急性心不全という、打撃のような形で。俺のビートルズと言うのが可能ならば西城秀樹の死亡は稲妻みたいにドラマチックに訪れた、実に西城秀樹らしい、年老いた後ろ姿まで見せなかったじゃないか、西城秀樹らしい。弔辞でも書いているんだろうか、内面的にすらそんな近しさを覚えた積もりはないが、私とは西城秀樹だった。