2018年5月18日金曜日

西城秀樹が死んだ

 西城秀樹に殊更思い入れがあるわけでもないが、強いて気に入った芸能人、歌手を挙げるとしたら西城秀樹だった。動画配信のアイコンに使っていた。私は西城秀樹だとよく言っていた。それは他に依拠するものがなかったから言っていたという感じだった。歌など特にヒットを飛ばしたもの以外は知らなかった。あの堂々とした感じ、西城秀樹を指して西城秀樹以外のものを一切意味しないという意味で唯一の存在であるあの感じが気に入っていた。ナイツや鉄拳などにはない存在感がある、もちろんタワムレに言っているんだけれどもタワムレにでもいの一番に話題にする対象が無くなったという意味においては空が消えたのと意味としては変わらないかもしれない。但し西城秀樹という記号自体が消えたのでもないし、西城秀樹と発音する際には現在の西城秀樹というよりはローラの、あるいはターンエーを歌った西城秀樹を指すのであったけれども意味を変えた、大幅に西城秀樹という言葉の意味が変わった。森繁久彌は生きているという都市伝説を主張する人も(ポールマッカートニー生存説、志村けん生存説など)いるにはいるが、森繁久彌には既に死んだようなものなのに不思議なくらい生きている宙づりの期間があったからこそ、現在その存在をぼやかすことに成功しているのだが、西城秀樹は確実に死んだ。しかも急性心不全という、打撃のような形で。俺のビートルズと言うのが可能ならば西城秀樹の死亡は稲妻みたいにドラマチックに訪れた、実に西城秀樹らしい、年老いた後ろ姿まで見せなかったじゃないか、西城秀樹らしい。弔辞でも書いているんだろうか、内面的にすらそんな近しさを覚えた積もりはないが、私とは西城秀樹だった。

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