2018年4月8日日曜日

2018/04/08

 夢は自分にとってかつて求心力があったが今はない。夢の印象が薄いのもあるが、何かが気になるように引っ張られることが昔ほどはないのは加齢のせいにするのは乱暴すぎるか、十や二十ではきかない年上のいる職場でもう年だからというような話をしたら全員顔が引き攣っていた串カツ田中での話だ。滑りの悪いサッシの引き戸が団体客によって開けられる度に一月前ほどのことだから冷気の風が入ってきて不愉快だった窓際の席で、同じく庄屋の話をするならガスファンヒーターがこちらに向けて温風を吹いているといったような気の効き方をしていたわけではなかった、行田の何もない延々と道路と畑だけが続く道のど真ん中にあった蕎麦屋では石油ヒーターだったが同じくこちらを向いていた、本格的に味わわなければわからない味の違いがあったので居住まいを正した、具体的には無いネクタイを結び直すようなものだろうか、ポテトサラダをジャガイモとベーコンの切れ端とレタスの入った擂り鉢が出てきて自分ですり潰さなければならなかったのを初めは訝しそうに他のメンバーは見ていた、道路の外の景色を休日の昼間に見ているだけの状態は天国のようだった、半分寝ていた。全寝していたらすぐにゼリーフライを売る駅前に着いた、一つの市か区ぐらいの広がりがあるように感じた、行田は。団体で来るのだから意識的ではない場合に、自分が最後に通るという自覚がないらしい、あるいは意図的に、さも自動ドアではない店側がおかしいだの、店員が閉める筈だのと考えているような顔が通り抜けた。勘違いでなければ、上下ジャージを着ていた、勘違いでも一向に構わない、最後にはやはりデザートで締めようという話になった、それほどはっきりと話したわけではなく誰となくメニューの該当個所を差し出したような空気だったし、そういう行為の具体的ではない一つの行為とも呼べない断片が、空気と映るのだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿