ツイッターで、今年における今日の割合を、古いパソコンのシークバーの表示で表すアカウントをフォローしている。
今年も残るところあと4%、といったところだ。
三十代の始めの年は、疾く過ぎ去った。
何かが残った、という感じがしない。
とはいえ、自分の人生の中で、何かを残した、といえる年があったのかどうか、疑わしい。
今まで一度もやったことがないといえる。
日記を書き始めたのは高校を卒業する頃だった。
それは、小説を書こうと志した日を境に、量を増した。
仕事を始めてから、量が減った。
何を書くのか、に関して、質の変化は当然あるが、ないも同然といえばそれまでだ。
書かれたものがどういう振る舞いをするのか知ってからは、当然変わらざるをえない。
ポストモダン的な書き方を知ってからは、自分の書き方もポストモダン的にならざるを得なかった。
それはポストモダンがわかっているとか、体現しているとかいったことではなく、単に影響されやすかったり、知ったことを実践するという単純なことで、ワザと言えるものであるのかといえば、疑問に思わざるを得ない。
それがポストモダンと言えるものなのかどうかもわからないが、その周辺にある何物かであることは疑いない。
だから何だというわけでも、だから何が出来るというわけでもない。
今日は親子丼を食ってから夜勤に出掛けた。
テレビは見なかった。
本も読まなかった。
ラジオを聞いた。
ラジオを熱心に聞いたのは日記を書き始めた頃より古い。
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