2017年12月16日土曜日

音楽もまた

 昨年か今年に起きたエイフェックス・ツインの未公開音源の大量放流という事件があった。
 三百曲くらい、サウンドクラウドにアップロードされていたのだ。
 それは、彼の古い曲風のもあり、最近の作風もあり、今まで書き溜めていたものを無作為に取り出して流した、といった風に見えた。
 てっきり、古く聞こえる曲はその当時作られたものと信じて疑っていなかった。ところが、信頼のおける友人が、
「あれはモジュラーの音がする」
 と言っていたのだ。
 昔の環境を模してさも昔作ったように見せかけた曲を、半ば自動的に? 大量に、最近全て作り出したものだというのだ。
 なんでそんなことをするのか?
「昔の」「○○年代の彼の音は」「ここで転換期が訪れる」などといった、歴史家風の非連続的な時間の経過の捉え方をされるのが、退屈で仕方なかったのかもしれない。
 音楽の時間は、その音の流れの中にしかない。それ以外は全て都合のいい想像であり仮構でしかない。

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