2017年12月19日火曜日

たそがれに還るからベスター

 一昨日あたりに光瀬龍の『たそがれに還る』を読み終えた。
 壮大で(『ディアスポラ』には劣る)、太陽系内に広がる人類とその希薄化みたいな話だったが、異星文化が姿を現すことがなく、味気なかった。
 百億の昼と千億の夜のワイドバロック感とインチキ感溢れる感じは良かったのだが。
 いずれにしろ小松左京の嫡子、いろんな意味で。物語の構造、複雑化、広汎化の志向による山田正紀みたいな限界は訪れるのだと思う。
 語り得ぬものに対して沈黙するしかないをスタイルにした形の異星文化の描き方もまた、そっから派生するものなのではないか。
 帰結感に欠ける。常に演繹し、先へ進んで、何らかのメチャクチャな構造に至らなければならない。
 光瀬龍は、たしか死んでたと思うが、節々にカッコつけたフレーズを使わなければ気が済まず、特に宇宙の荒涼感、銀河英雄伝説とか銀河鉄道スリーナインとかのロマンとかが染み着いたような孤独への畏怖と憧憬みたいなことばっかり言っているので退屈だ。
 その辺も小松左京から継いでいる。
 それからベスターの『虎よ、虎よ!』を読み始めた。

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