2017年12月16日土曜日

SFについて

 これももう十年近い前の話だけどSF小説を山ほど読んでいた。
 その時は量をこなそうという考えだった。
 今考えればそれは間違っているとも言えなかった、それで正解というわけでもないが。
 名作と言われている小説を、古いのも新しいのも構わずに、名作と言われている順番に読んでいった。
 その中で、どうしても受け入れられない作家も現れた。山本弘や、小林泰三がそうだ、夢枕獏は嫌いではなかったがなんで気に入られるのかがわからなかった。
 何といっても気に入ったのはグレッグ・イーガンと野尻抱介。
 堀晃も、噂に違わずよろしかった。
 プログラミングとは、無時間的に行われる営みである。なぜなら、時間と関わりのないアーキテクチャの変化と戦うからである。
 あなたは、「GOTO」ラベルの濫用の禁止の声を聞いたことがあるか。
 人は、完全に「失敗」するグチャグチャの何の為に動いてんのかわからないプログラムを組むことが出来る。それは、人類の可能性だといっていい。
 強い指向性(それは経たないはずの時間を仮構すること、ないはずの物の質量、移動に必要な力を仮構することから始まる、そこから「目的」が発生すると言ってもいい)を持たない、何かを「させる」つもりで書かれたプログラムが、新しい人類の可能性を生む。
 野尻抱介の「太陽の簒奪者」には、そういうエピソードが含まれている。

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